現在プレイしているMMOと時折思いついたことについてつらつらと駄文を載せるブログ(from2007/11/15)
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
大分更新の間が空いたけど、生きてます(何
更新しようと思った辺りで祖父が亡くなったため、それ関連で更新どころでは無くなってしまったのでご容赦を。
RO・FEZの記事を期待した人には悪いけれど、以下その時の状況ダイジェスト。
更新しようと思った辺りで祖父が亡くなったため、それ関連で更新どころでは無くなってしまったのでご容赦を。
RO・FEZの記事を期待した人には悪いけれど、以下その時の状況ダイジェスト。
・3/24 11:50
母親から祖父危篤の報が入る
外出中の妹と合流し、病院の最寄のJR駅へ
・同日 12:50
目的のJR駅へ到着
タクシーを拾って病院へ
・同日 14:00
祖父の呼吸停止
8分後の14:08、医師によって死亡確認
まぁ昨年末の段階で冬は越せないだろうと言われていたので、良く頑張った方なんだろうなと。
実際、駆けつけたときにベッド脇で声を掛けたら僅かに声を出して反応を返してくれたりね。
でも手を握っても既に冷めて行くような感じで、『ああ、ほんの直に逝ってしまうんだろうな』と悟ってしまうような状態。
到着後、徐々に呼吸の間隔が長くなっていくのをはっきり感じたのが辛かった。
ただ、呼吸も穏やかに緩やかに止まり、激しく苦しむような逝き方ではなかったのが幸い。
本当に『眠るように…』と言う比喩がしっくり来る亡くなり方でした。
その日は遺体を祖父の家に搬送し、そのまま仮通夜。
…と言っても翌日が従妹の卒業式だったため、叔母一家は仕方なく自分の家へ帰宅。
仮通夜は親父を除く自分の一家と祖母で営む事に。
翌日25日は14:30に祖父と共に斎場へ移動。
移動後に湯灌をしてもらい、そのまま納棺。
そして18:00から本通夜開始。
延々と線香を自分一人で4時過ぎまで立て続けてたとか、どんだけ暇だったのか、自分w
4:30くらいに母親が起きてきたためバトンタッチして仮眠。
9:00頃に葬儀開始。
読経という催眠音波と戦いつつ、最後の対面の後、釘打ち。
10:30頃に火葬場へ到着し、火葬開始。
12:00頃に火葬が完了し、荷物を置いてある斎場へ立ち寄った後祖父母宅へ帰宅。
その後一息入れてから自宅へと車を走らせ帰宅。
まだまだ処理事項は残っているけど、その辺の大まかな部分はお袋と叔母に頑張ってもらうってことで。
要請があればこちらも手を貸すけれど。
祖母も祖母で問題を抱えているので、そちらもどうにかしないとならないが…。
はてさて、どう転がって行くのやら。
母親から祖父危篤の報が入る
外出中の妹と合流し、病院の最寄のJR駅へ
・同日 12:50
目的のJR駅へ到着
タクシーを拾って病院へ
・同日 14:00
祖父の呼吸停止
8分後の14:08、医師によって死亡確認
まぁ昨年末の段階で冬は越せないだろうと言われていたので、良く頑張った方なんだろうなと。
実際、駆けつけたときにベッド脇で声を掛けたら僅かに声を出して反応を返してくれたりね。
でも手を握っても既に冷めて行くような感じで、『ああ、ほんの直に逝ってしまうんだろうな』と悟ってしまうような状態。
到着後、徐々に呼吸の間隔が長くなっていくのをはっきり感じたのが辛かった。
ただ、呼吸も穏やかに緩やかに止まり、激しく苦しむような逝き方ではなかったのが幸い。
本当に『眠るように…』と言う比喩がしっくり来る亡くなり方でした。
その日は遺体を祖父の家に搬送し、そのまま仮通夜。
…と言っても翌日が従妹の卒業式だったため、叔母一家は仕方なく自分の家へ帰宅。
仮通夜は親父を除く自分の一家と祖母で営む事に。
翌日25日は14:30に祖父と共に斎場へ移動。
移動後に湯灌をしてもらい、そのまま納棺。
そして18:00から本通夜開始。
延々と線香を自分一人で4時過ぎまで立て続けてたとか、どんだけ暇だったのか、自分w
4:30くらいに母親が起きてきたためバトンタッチして仮眠。
9:00頃に葬儀開始。
読経という催眠音波と戦いつつ、最後の対面の後、釘打ち。
10:30頃に火葬場へ到着し、火葬開始。
12:00頃に火葬が完了し、荷物を置いてある斎場へ立ち寄った後祖父母宅へ帰宅。
その後一息入れてから自宅へと車を走らせ帰宅。
まだまだ処理事項は残っているけど、その辺の大まかな部分はお袋と叔母に頑張ってもらうってことで。
要請があればこちらも手を貸すけれど。
祖母も祖母で問題を抱えているので、そちらもどうにかしないとならないが…。
はてさて、どう転がって行くのやら。
PR
この記事にコメントする